题款/钤印:川崎政雄、松林人
本拍品为韩国成川郡风景图,是朝鲜民主主义人民共和国平安南道东南部的一个郡,位于首都平壤东北、道府平城市以东。四面环山,中间为沸流江形成的盆地。降仙楼是关西八景之一。
【加藤松林人の年譜】
本名:倹吉
画号:松林人、松林、小林人、小琳人
1898年(明31) 9月16日徳島県那桑野村中分(現阿南市原町中分)に父・安三、母・ミツヲの長男として生まれる。県立富岡中学を経て早稲田大学文学部予科へ。
1918年(大正7年) 20歳、父の事業関係で京城(現ソウル)に移る。東洋画の修業は京城で画塾を開いていた清水東雲(四条円山派の森寛斎門下)の手ほどきを受ける。朝鮮美術展覧会(朝鮮展、鮮展)の審査に訪れた結城素明、平福百穂、川崎小虎、橋本関雪らの知遇を得て精進し、風景、静物などに独自の境 地を拓いた。
1922年(大正11) 第1回朝鮮展(総督府主催の年例展)に風景画の2点が入選。第2回展入賞の「砂丘」が宮内省お買い上げとなる。第4回展は「室内の春」が特選となるなど、東洋画部門で入選を続けた。
1935年(昭和10) 第14回朝鮮展では推薦(永久無鑑査)となる。
第16回から第19回まで審査員参与をつとめる。
李王家夫妻に絵の進講・指導をするなど、朝鮮美術界の中心的存在となる。
1964年6月7日~1週間、済州島訪問。風景画24点、紀行文および画帳を残す。
1983年(昭和58) 2月14日、大津市で御逝去。享年84歳。
著書:『朝鮮の美しさ』(1958年) 加藤松林人作品頒布会
『韓国の美しさ』(1973年) WUM学園学術部
『朝鮮民謡撰』『朝鮮童謡撰』にカットを残した